Krankenhaus

わたしはまだ図書館を持っていないし、かれもどうやら持っていないようだった

私と犬の話

 私の犬がもう永くないというので、ひさしぶりに帰省することにした。

 そう、私の犬だ。私が実家を出てからもうしばらく経つから、実際彼女の世話をしているのは私の父と母だけれど、それでもあえて誰の犬かと言われれば、私の犬ということになる。

 彼女は血統書のつくような、立派な犬ではない(しかし彼女は立派に犬をやっている、すくなくとも私よりはよっぽど犬だ)。保健所にもうすぐ入れられるところを、私がねだってもらってきたのだった。

 本当は雄がほしかった。というのも雌の避妊手術にはお金がかかるから。私もそのつもりで、何日も費やして、そして胸躍らせながら、男性名を考え抜いた。

 けれど譲渡会の当日に、雄はいなかった。ちょうどいま最後の一匹がもらわれていったところですと、職員らしき人が言った。落胆する私の足元に無邪気にまとわりついていたのが、彼女だった。今でも彼女は男性名で呼ばれている。

 彼女はよく人に懐いた。知らない人にもすぐに腹を見せた。私たちも、番犬を雇いたいわけではなかったから、それでよかった。

 役割とは居場所のことだ。私たちは何かを担うことでここに居てもいいという許しを乞うている。赤ちゃんは泣くのが仕事だし、犬は飼い主に忠実でなければならない。

 その点彼女はお世辞にも優秀とは言えなかった。人によく懐くくせに、人の言うことをあまり聞かなかった。彼女はいつだって望めるだけの自由を、それがたとえほんのすこしだったとしても謳歌していた。

 ひさしぶりにみた彼女は、痛々しいほどに老いていた。両目はうっすら白濁して、ほとんど骨と皮だけにみえるからだは不自然に折り畳まれようやく自力で立ち上がれるような状態だった。まだぎりぎり視力は失っていないのか、私を一瞥すると、時間をかけて立ち上がった。頭をなでると彼女は身を震わせた。どうやら目は見えていても遠近感はうまく働いていないらしい。驚かせたことを謝ったが、反応はなかった。

 犬は私たちよりはやく死ぬ。私がうっかり明日死んでしまわないかぎりは、そういうふうにできている。

 犬は人語を話さないし、私の言葉が通じているかも、結構疑わしい(すくなくとも見かけ上は通じているように彼女は振る舞うけど)。

 そういえば一度だけ、彼女は家を逃げ出したことがある。新しく買った首輪がゆるかったせいだ。赤い新品の首輪を残して彼女は走っていってしまった。私はその時もう彼女には会えないのだと思った。そう思うとかなしくて、たしか泣いてしまった。もう会えないことよりも、共通の言語を持たない私たちに、いつの間にか確執や軋轢のたぐいが生じていたのかもしれないという可能性がかなしかった。不満があっても彼女にはそれを伝える手段がほとんどない。それがかなしかった。

 ところが彼女はその日のうちに帰ってきた。あちこち探しまわって帰ってきた私を、家の前で待っていた。なぜか体はぐしょぐしょに濡れていた。

 犬にも帰巣本能みたいなものがあるのかを私は知らないし、給餌と一定の安全が保証された場所以上の意味を彼女がそこに見出したのかはわからない。でも、彼女はそこを選んだのだ。それは言葉を持たない彼女がみせた、明らかな意思だった。私はそれがうれしかった。

 犬は頭がわるいから、君はうちに来てしあわせだった? となでながら聞いてみても、なでられていることにご満悦のようで、ちいさく鼻を鳴らすだけだ。難しいことなんて何も考えていないようにみえるが、案外彼女が言葉を得たら、数々の不平不満が飛び出すかもしれない。

 願わくはそれが、名付けに関するものでないことを、私は祈っている。